リテラシー

かつて大学でいわゆる「パソコンの講義」を受け始めたころは、
それほどインターネットは一般的ではありませんでした。
なので、入学したときにメールアドレスとログインIDを渡されても
その使用法そのものを知ることになるのは3ヶ月くらいあとでした。

私のいた大学では情報基礎、をまず最初に教わることになったのですが、
一般教養のクラスで振り分けがあったので、私のクラスの先生は
一太郎(wordみたいなものですよ)とロータス(excelみたいなものですよ)
しか教えてもらえませんでした。
ほかのクラスではメールの使い方やインターネットへの接続方法について
教わっているところもあったようです。
なるほど、環境はあって同じ学費払ってるのに方や我々だけインターネットが使えないのは
大変くやしい。
なので別のクラスの人間のところに教わりにいったのです、
メールってどうやって使うん?と。

当時は学内のOSは8割がMS-DOS、今の人は想像つかないかもしれませんが、
単独で使うのが当たり前で、外とのつながりは電源のみ、でした。

残りの1.5がUNIX、残り0.5がMacでした。

UNIXはネットワークに接続されており、そちらではインターネットを使うことができましたし、なんとブロードバンド接続(ただしスピードは察し)でした。
今ではすっかり当たり前の方式ですが、当時は電話回線で細々つなぐのが一般的でした。
たまたま大学が高い学費を有用に使っていた例です。

初めて使ったEメールはいきなり部外者とのとある集まりに参加するための連絡メールでしたが、それでも電話以外で双方向通信できる、というのは不思議な感覚でした。

繰り返し気味に書いてますが、当時はブロードバンドなど夢のまた夢、
ディズニーランドが公式WEB作ったけど画像多過ぎで読み込みに何分かかるんや!みたいな時代でした。つまり回線が細かった。スピードが遅かった。

そんな中で生まれた用語、作法がネチケットだったと思います。
内容は画面の向こう側にも人がいるんだ、配慮しなさい。みたいなところから
細かいところではメールの件名はアルファベットだけにしましょう、とかそんな感じです。
ネチケットがそもそも造語なんで興味がある人は調べてみてください。
とくに違反しても罰則はありませんし、インターネット(と限られた通信インフラ)という資源をどう有効に使うか知恵を絞った結果の不文律です。
集合知の印象を受けますが今日に至るまでネチケットをまとめた場所、というものにお目にかかったことはありません、本当に不文律でした。

昔はそういうわけでできることが限られていたからこその不文律ができあがった。
草創期だからこその情報リテラシーであるともいえると思います。

現在のリテラシーはというと、山ほど存在しています。

パソコン発展の基礎にネットワークの飛躍的な発展があったのはいうまでもないのですが、
コンピューターそのものの性能があがった結果、できないことはほぼなくなりました。
なので~してはいけない、と縛る必要がなくなったかというとそういうことではなく、
むしろできることが広がりすぎたせいで規制を敷くことが山ほど出てきてしまったのです。

個人情報保護。一度に持ち出せる情報に限度はなくなりました。
スパム。いくらメールを送信しても時間あたりの課金はないので迷惑メール出したい放題です。

待ち望んだ便利な世の中の先には幾多の考えるべき課題が待っていたわけです。
そして個人が尊重されくさいものには蓋をする文化が発展した結果、
不文律を唱えるためにはそれに対してお墨付きをもらって商業化する、いわゆるマナー講師が幅をきかせる時代になっていったのです。

かつてはみんなが考えた資源をどう有効に使おうか、という話は
逆のベクトルで資源をどう有効に使おうか、という方向で議論される時代となったのです。